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高遊外売茶翁顕彰会 〒840-0831
佐賀市松原4丁目6番18号
肥前通仙亭
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[FAX] 
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煎茶の祖・茶神 高遊外売茶翁

千利休が侘び茶の祖・茶聖と称されるのに対し、煎茶の祖・茶神と呼ばれるのが高遊外売茶翁(1675-1763)です。 その昔、お茶は薬として珍重された時代があり、身分の高い人の飲み物でした。売茶翁は、上流階級の文化だった喫茶の風習を庶民にまで広めた人です。 高遊外売茶翁は、佐賀市蓮池町に生まれ、黄檗宗の禅僧として各地を巡り、長崎で煎茶を学んで60歳を過ぎてから売茶の業を始めました。 京都鴨川のほとりには、"日本初の喫茶店"ともいわれる「通仙亭」という茶店を構えました。 自ら茶道具を担いで、春は桜の名所、夏は清流の渓辺、秋は紅葉の美しいところへ出掛け、清明な自然の中で茶を煎じて売ることもしばしば。 そこに掲げられていたのは「茶銭は黄金百鎰より半文銭までくれしだい。 ただにて飲むも勝手なり。ただよりほかはまけ申さず。」 (訳:お茶の代金は小判二千両から半文までいくらでもけっこう。 ただで飲んでもけっこう。ただより安くはできません。) 身分を問わず、茶代を払おうと払うまいと気にかけず、禅を説きながら、 いろいろな世の中の出来事などをのどかに物語ってきかせたので、たちまち人々の評判になりました。

■高遊外売茶翁略年譜

1675年

佐賀鍋島蓮池支藩の藩医、柴山杢之進常名の三男として生まれる。幼名は柴山菊泉。
1686年
(11歳)
佐賀市の龍津寺に出家、僧名月海。

1688年
(13歳)
黄檗山萬福寺第4代住職独湛禅師に面会を許される

1689年~

龍津寺に帰り学問・修行に励む

1696年
(22歳)
体調を崩し、江戸・京都を経て仙台の萬寿寺月耕禅師のもとで
修行
1707年
(33歳)
長崎で煎茶の知識を吸収

1731年
(57歳)
龍津寺を法弟大潮にゆずり、志を果たすため上洛

1735年
(61歳)
東山に通仙亭を構え、禅を説きながら売茶の業を始める

1742年
(68歳)
高遊外に改名

1763年
(89歳)
7月16日死去

  • 高遊外売茶翁図(佐賀県立博物館蔵)
    高遊外売茶翁図
    (佐賀県立博物館蔵)

  • 楓図・狩野秀頼筆
    (東京国立博物館蔵)
  • 龍津寺(佐賀市)
    龍津寺(佐賀市)
  • 龍津寺の境内に建てられた売茶翁を懸彰する石碑
    龍津寺の境内に建てられた
    売茶翁を顕彰する石碑